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串本町は、本州最南端の町として知られている町です。 ー自然に囲まれた串本町ー 海岸線は複雑な形のリアス式海岸で、海の浸食を受けた不思議な形の岩が多く存在しています。 特に有名なのは国の天然記念物に指定されている「橋杭岩」です。 大小40余りの岩柱がそそり立っており、その姿は橋の杭の部分だけが経っているように見えます。 黒潮によって暖められた海中には、南国のような美しいサンゴ礁が広がっており、 その光景を見るためにダイビングに訪れる人が大勢います。 大規模なサンゴ礁の中では世界最北端の場所に位置している、 温帯と熱帯が混じった珍しい環境であることからラムサール条約に登録されています。 ー串本町とトルコの友好関係ー 明治23年 日本から帰国途中のオスマン・トルコ帝国の親善大使600名以上が乗船していた船、 エルトゥールル号が台風のため串本町沖で座礁するという事故がありました。 この事故は日本で最大規模の海難事故として知られています。 事故の際に救助を行ったのが串本の大島の住民でした。 住民たちの懸命な救助活動により、翌年には生存した69名が帰国することが出来ました。 昭和60年 イラン・イラク戦争が行われていた当時、 出国しようとしていた200名以上の日本人が満席のためイランの空港に残されてしまいました。 安全が確保できないと日本からの救援も来ない中、助けてくれたのがトルコ共和国でした。 2機の救援機がトルコから救援に訪れ、残された日本人を日本まで送り届けたのです。 イランには、トルコ人も多く在住していましたが優先的に日本人を航空機に搭乗させ、 自分たちトルコ人は1週間をかけ、陸路で帰国しました。 トルコではエルトゥールル号の出来事がずっと語り継がれており、約100年後にその恩返しとして日本人を救ったのです。 その後もお互いに支援しあい友好関係が続いています。 慰霊碑の設立や、トルコとの共同映画製作によってトルコと串本町の友好関係は後世に伝えられています。
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